観光研究者の街歩きフォト日記

まちを歩き、観察する観光・地域ブランド研究者の写真ブログです。

港町・坂越の町並み(赤穂その2)

坂越の町並みを歩いてきました。

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坂越は、赤穂市兵庫県)の坂越湾に面する港町ですね。

江戸期には北前船の瀬戸内航路の寄港地として栄え、廻船業を営む豪商が軒を連ねていたそう。 

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また、西国大名の参勤交代の港としても使われていたとか。

それらを今に伝える伝統的建造物群に加えて、秦 河勝(はた の かわかつ)を祀る「大避神社」(おおさけ・じんじゃ)や、彼の墓所で神域とされる「生島」(いきしま)など、ここには沢山の見どころがあります。

坂越では、「大道」(だいどう)と呼ばれる通りの両側に、往時の面影を残す町並みが続いています。

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写真は、「旧坂越浦会所」を撮ったもの。

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この建物は、行政や商業等の事務をとるための村会所として1830年ごろに建てられました。 

会所として使われるほか、赤穂藩主専用の休憩所(別荘)としても使用されたとか。

2階にある「観海楼」からは、美しい坂越湾が一望できます。

次の写真は、「坂越まち並み館」です。

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ここは、旧奥藤銀行を修景整備した建物です。 館内には坂越ゆかりの品々が展示されています。 元銀行の建物だったため、大金庫が昔のまま残されていました。 インテリアとしては、なかなかのインパクトで、中をのぞき見したりで面白かったです。

まちなかには、こんな路地も沢山あって、つい入り込みたくなります。

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 「坂越まち並み館」の真向かいの建物には、長い行列が出来ていました。

何かと思いきや、ここは「坂利太」(さりーた)というナポリ菓子・アラゴスタの専門店でした。 どうやら、よく知られた店らしい。

当然のごとく長い行列に並んで、ゲットしたのが写真のソフトクリームです。

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伊勢エビの形を模したアラゴスタの皮がモチモチで、何とも美味しかったです。

地元の赤穂市で、イタリア料理店を営むシェフが出したお店とか。 

これ目当てに来る人も多いはずなので、坂越でも結構な集客の原動力となっていると思います。

昔の繁栄ぶりに想いを馳せながら、ソフトクリームを片手に、古い港町を歩くのも楽しかったです。

それにしても、電柱や電線が邪魔ですね。  特に写真を撮っていると痛切にそう感じます。

景観を考えて、電線の地中化など何とか出来ないものでしょうか。


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赤穂城跡あたり(赤穂その1)

久しぶりに赤穂市兵庫県)を訪ねてきました。

赤穂と言えば、1701年に江戸城・松の大廊下で起きた刃傷事件と、その後の赤穂浪士の討ち入り(吉良邸)で、全国津々浦々にその地名が知られています。

と、今まで固く信じていたのですが・・・。

東京で、若い人たちと話していた時に、赤穂浪士の討ち入り(忠臣蔵)は名前だけで詳しい内容は知らないし、そもそも赤穂がどこにあるか全く分からない、と言われたときは、本当にがっくりときました。

まあ、今の時代、歴史や旅などに興味がなければ、そんなものなのでしょう。

気を取り直して紹介すると、赤穂市兵庫県の南西部、岡山県との県境に位置する人口4万5千人ほどの城下町です。 

瀬戸内海に面することから、古くから製塩業が盛んで、赤穂の塩は全国区のブランドとして知られています。

今回、まず訪れたのが「赤穂城跡」です。

写真は、本丸の表門。 1996年に復元されたものです。

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赤穂城は、常陸国笠間から転封された浅野長直が、1648年から13年の歳月を費やして築いた海岸平城で、「日本100名城」のひとつに選定されています。

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軍学者である山鹿素行が、暫く召し抱えられて、城の縄張りを一部変更したとも言われています。

天守閣は計画されたものの、着工はされず天守台のみが残っていました。

明治維新の際に、城内の建物の大半は取り壊されました。 このため、現在建っている建築物のほとんどは、昭和以降に復元されたものです。

次の写真は、本丸厩口門(台所門)です。

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本丸にあった3つの門の一つで、2001年に復元されました。

この城跡の印象としては、石高(5万石強)に比べて、かなり規模が大きいと思いますね。

そして、石垣とお堀が立派でした。

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お堀は、外堀と内堀が残っています。

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そして、城跡から少し離れたところにあるのが「大石邸長屋門」です。

ここは、浅野長直の赤穂入封以来、家老職を務めた大石家3代の邸宅跡。

1729年の火災で建物の大半が焼失し、長屋門のみ現存しています。

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とても立派な長屋門ですね。 今にも武士が姿を現しそうな雰囲気があります。

1701年の江戸城での刃傷事件を国元へと伝えるため早駕籠で到着し、門を叩いたのが、この長屋門だとか。 

さらに、「大石邸」の敷地内にあるのが「大石神社」です。

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ここには、討ち入りを果たした47士などがお祀りしてあります。 1900年創建と比較的新しい神社ですが、なかなか立派な雰囲気のあるお社でした。 

下の写真は、宝物館です。

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この神社では、御朱印帳を買って御朱印を頂いてきました。

この「赤穂城跡」は、想像していた以上に規模が大きく、見どころも結構ありました。とりわけ歴史や城郭に興味がある方には、面白く回れるところだと思いますね。

久々に訪ねることができて良かったです。


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「おはらい町」と「おかげ横丁」(伊勢・志摩その7)

伊勢神宮・内宮の鳥居前町(門前町)として栄えてきたのが「おはらい町」です。

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もともとは、江戸期に全国を回って参拝客を集めた御師の館が立ち並んでいた通りで、客をお祓いや神楽でもてなしたことから「おはらい町」と呼ばれるようになったらしい。

(なお「御師」は「おし」と読むことが多いですが、伊勢では「おんし」と発音するそう。 その役割は、旅行エージェント兼宿泊業者ですね。)

昭和の高度成長期ごろから寂びれた通りとなっていたのを、ここに本店を構える赤福が中心となり、伝統的な町並みを再生することで賑わいを復活させました。

実際に歩いてみると、当地伝統の「妻入り」の木造建築が立ち並ぶ町並みには、タイムスリップしたような不思議な魅力がありました。

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電線の地中化(電柱の撤去)や道の石畳化がなされていて、すっきりとした空間環境となっています。

週末の土日に2回、訪れましたが、通りには沢山の観光客が歩いていて、その活気には驚きました。

写真は「おはらい町」の、ほぼ真ん中にある赤福の本店です。

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沢山の買い物客を縫って、なかに入ると、仕切りされた作業場で赤福餅に漉し餡をつける手作業を見ることが出来ます。

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なかなかの練達ぞろいで、素早く餡を付ける様子は、見ているだけでも面白かったです。

赤福本店の前には「おかげ横丁」が広がっています。 

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ここは、赤福が約140億円をかけて新たに造った横丁(鳥居前町)で、伝統的な妻入りの建物や蔵、洋館などが移築や再現などされて立ち並んでいます。

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その名称は「お蔭参り(お伊勢参り)」から取ったものだそう。

広さは約4千坪、入り組んだ路地に50店ほどの様々な店舗(特産物、土産、飲食など)が集まっています。 開業したのは1993年とか。

横丁に入ってみると、路地や店には客が溢れていました。 懐かしいブリキや木、紙の玩具なども売っています。

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大道芸などのイベントもひっきりなしに行われているので、あちこち見ていると時間が経つのも忘れるほどでした。

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大道芸では、久しぶりに見た「バナナの叩き売り」に見入ってしまいました。

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ここは本当に楽しくて面白かったです。

いま、全国の各地で「観光まちづくり」が行われていますが、「おはらい町」と「おかげ横丁」は、確かに成功モデルのひとつと言えますね。

ここは、皆さんに見学をお勧めします。


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伊勢神宮・内宮(伊勢・志摩その6)

伊勢神宮・内宮には、滞在2日目の午前中に参拝しました。

内宮に着くと、生憎の空模様。 それも次第に本降りとなりました。

それでも日曜日だったせいか、参拝客はかなり多かったです。

伊勢神宮・内宮は正式には「皇大神宮」(こうたいじんぐう)といい、日本人の大御祖神(おおみおやがみ)である天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りしています。

そして今を遡ること約2千年前に、五十鈴川の川上に鎮座されたと伝わっています。

写真は、五十鈴川に設けられた「御手洗場」です。

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宇治橋を渡り、第一鳥居をくぐった先にあって、昔からここで手などを清めてから参拝していました。

五十鈴川は、想像していた通りの綺麗な流れでした。 雨に煙る木々の深い緑のなか、川音に河鹿の鳴き声が混じって、心身が癒されるようでした。

ここから暫く参道を進むと「御正宮」(ごしょうぐう)へと着きます。

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社殿は、石段を設けた高台に、四重の垣に守られて建っています。

写真撮影は、この石段の下まで。 参拝客が多くて、写真を撮るのも一苦労でした。

「御正宮」への参拝を終えたあとは、深い森のなかを歩いて二つの別宮などにお参りしました。

下の写真は「風日祈宮」(かざひのみのみや)です。

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島路川にかかる橋を渡った森の中にあり、風の神様をお祀りしています。

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参道からは少し外れているためか、お参りする人も少なめで静かな場所でした。

島路川には、「木除け杭」が打ってあります。 この杭は、台風などによる流木を食い止め、橋脚を守るものですね。 見た目も、なかなか絵になる景観でした。

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外宮に続いて、内宮でも御朱印を頂きました。 外宮と同じく本当にシンプルな御朱印で、このシンプルさこそが「お伊勢さん」なんだと勝手に得心し、有難く頂戴しました。

なお、外宮と同じく、内宮にも御神籤(おみくじ)はありませんでした(念のため記しておきます)。

今回の旅では、外宮と内宮、両方のお宮に参拝できて、本当に良かったです。

随分と気分が清々しくなり、心身が癒されたように感じました。

次に機会があるときは、参拝客が少ない曜日や時間帯を選んで、ゆっくりとお参りできればと思っています。

まあ、それが実現するのは、仕事をリタイアしてからですね。


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志摩観光ホテル#2(伊勢・志摩その5)

今年の梅雨は、よく雨が降りますね。 それに梅雨寒の日が続いています。

こんな鬱陶しい日は、通勤するのも億劫になりがち。

はやく梅雨が明けて、夏本番となれば嬉しいのですが・・・。

天気のボヤキは、これくらいにして、今回は志摩観光ホテルの続きです。

このホテルの売りは、リアス式海岸からなる英虞湾の眺望と、海の幸を使った料理にあると前回の記事に書きました。

夕食では、いろいろ迷った結果「リアン」を選んでみました。

場所は、開業当時の面影を残す「ザ クラブ」の2階にあります。

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和と洋のいいとこ取りをしたような造作は、落ち着いた感じで良かったです。

早めの時間帯だったせいか、客の姿もまばらでした。

ここは、夜も更けてくるとバーとしても使われるらしい。

注文したのは、軽めのコース料理。

料理名をメモし忘れたので、主な写真を載せておきます。

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これらにデザートなどが付いて、1人5,000円とお得なコースでした。

さすがにどれも、美味しかったですね。

そして、翌日の朝食は「ラ・メール ザ クラシック」で。

ここでは、和食を選んでみました。

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これは、オーバーではなく本当に美味しかったです。 お代は3,300円でした。 我が朝食にしては贅沢価格ですが、味や内容を考えれば大満足でした。

このホテルが立地する「志摩の国」は、古代から平安期のころまで朝廷に御食料を貢いでいた「御食国(みつけくに)」でした。

平地は少なく農業(穀物栽培)面では不利ですが、海産物を中心に古代から豊かな食材の宝庫だったとか。

(なお、「御食国」には、「志摩」のほか「若狭」「淡路」があります)。

このような耳学問的な知識はありましたが、実際に食べてみると、海産物以外の食材を使った料理もとても美味かったです。

さすがは、料理で売る「シマカン」(当ホテルの略称・愛称ですね)です。

加えて、従業員の応対やサービス水準も優れていますね。

久しぶりに宿泊して、このホテルの素晴らしさを再認識しました。

機会があれば、また泊まってみたいと思います。


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志摩観光ホテル(伊勢・志摩その4)

今回の旅では、伊勢からほんの少し足を延ばして、志摩観光ホテルに宿泊しました。

賢島にある志摩観光ホテルは、当地を代表するリゾートホテルですね。

開業したのは、1951年。

広大な敷地のなかに、有名建築家である村野藤吾が設計した「ザ クラシック」(1969年築)など3棟が建っています。

写真は「ザ クラシック」を撮ったもの。

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その設計コンセプトは「環境との対比・共存」とか。

銅板張りの蒼い庇が特徴的で、周辺の豊かな自然環境と調和して建つ姿は、とても見事でした。

このホテルの売りは、小さな島や岬が複雑に入り組んだ英虞湾の眺望の素晴らしさと、アワビなど魚介類の料理の美味しさにあります。

山崎豊子の小説『華麗なる一族』の冒頭の舞台になり、また2016年の先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)の会場となったことでも知られています。

今回、宿泊したのは「ザ クラシック」。 サミットの前に改装されたこともあって、清潔で綺麗な部屋はとても居心地が良かったです。

夕方に到着すると、日没までゲストラウンジで過ごしました。

その時に撮ったのが次の写真です。

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日没は、こんな感じでした。

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写真の出来は、いまひとつですね。

でも、ここから眺める英虞湾やサンセットの景色は、何といっても素晴らしかったです。

翌朝は、別棟の「ザ ベイスイート」(2008年築)まで出かけました。

二つの宿泊棟の間には、およそ2千坪の広大な庭園が広がっています。

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「ザ ベイスイート」へは、鳥の声を聴きながら、庭園内の橋を渡ったり、神社(金刀比羅宮)にお参りしたりしながら歩いていきました。

サミットの際には、この屋上庭園で参加した首脳の記念撮影が行われたそう。

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緑に覆われた陸地と、遠くにも見え隠れする青い海とのコントラストは、とても雄大で心地よい景観でした。

最後の写真は、サミット会議が行われた円卓です。

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これは、もう一つの別棟「ザ クラブ」(1951年築)に展示されていました。

   (次回に続きます)


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外宮参道のレトロな建物など(伊勢・志摩その3)

この土日は、天気がもう一つなのと、このところ珍しく仕事が混んでいたので、家でゆっくりと過ごしています。

いま欲しいものと言えば、自転車ですね(唐突にすみません)。

海外(シンガポール)赴任するときにクルマも自転車も処分してしまい、今は自分の足と公共交通機関だけが頼りの生活を送っています。

まあ、健康的で良いのですが、せめて自転車くらいはあったほうが便利だなと思うようになりました。

最近、都心の勤務先周辺でも、急速にレンタサイクルが増えてきています。 加えて、自転車通勤の人も多くなったように感じます。 

これまた余談ですが、昔、羽田空港国際線ターミナルに勤務していたころ、お客様から自転車駐輪場の在りかを尋ねられたことがありました。

当時は、羽田空港(それも国際線ターミナル)へ自転車で来る人がいるなど想定していなくて、駐輪場は用意していなかったですね(現在は、どうなっているか知りませんが)。

今は、都心の高級百貨店などでも駐輪場を設置しているほど。 それくらい自転車へのニーズがある時代ということなのでしょう。

話は戻って、それやこれやで、現在、マイ自転車の購入を検討しているところです。 

オジサンが乗っても安全・安心で、かつ、少しは見栄えの良い自転車が欲しいです。 ということで、無事に購入できたら、休日に羽田あたりまで走らせてみたいと思っています。

さて、ここから本題である伊勢・志摩の続きとなります。

伊勢市駅から外宮までの参道には、いろいろな店舗が軒を連ねています。

歩いていて一番目立ったのが、次の写真の建物でした。

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旅館の「山田館」ですね。

レトロな木造三層楼は、人の目を引き付けずにはおかないような造形的魅力がありました。

聞けば、創業100年を超える老舗旅館だとか。

今では、外宮参道のシンボル的役割を担っているそう。

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内部の造りがどうなっているのかなど、一度は泊まってみたい誘惑にかられますね。

次の写真は「伊勢菊一」の店舗です。

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明治40年創業の刃物の老舗ですね。

黒い瓦屋根に黒い漆喰壁、それに堂々とした「菊一文字本店」の大看板が、重厚さを感じさせる建物です。

店内には、包丁や鋏などの高級な刃物類が置いてありました。それに、ペンチ式の爪切りなども。

当方は、珍しいところで"魚のうろこ取り"を買いました。

他にも色々なお店があったのですが、これらの伝統的建築物は、後世までぜひ残していって欲しいですね。

内宮前の「おはらい町」ほどの賑わいではありませんが、この外宮参道の散策はなかなかに面白かったです。

今回は最初の余談が長くなり、申し訳ありませんでした。


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