観光研究者の街歩きフォト日記

まちを歩き、観察する観光・地域ブランド研究者の写真ブログです。

東大寺南大門&二月堂など(奈良市)

前回のブログ記事では、東大寺の金堂(大仏殿)と戒壇堂について書きました。

今回は、同じく東大寺で見逃せない南大門と二月堂などについてレポートしたいと思います。

写真は、南大門(国宝)を撮ったものです。

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現在の建物は、1199年(鎌倉時代)に再建されたもの。

建築様式は天竺様(大仏様とも)で、貫と呼ばれる水平材を多く使っています。

この利点は、貫が柱を貫通していることから構造が強固に保たれることにあるそう。

門の左右には、有名な金剛力士立像(運慶・快慶などの作)が安置されています。

久しぶりに見た南大門は、自分が記憶していた以上に大きく感じられました。

この存在感は、圧倒的ですね。

金剛力士立像も迫力満点で、多くの人に人気があるのも頷けます。

南大門の周辺は、外国人など沢山の団体客等で賑わっていました。 

鹿せんべいを当てにした鹿も集まっていました。

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ここから若草山方面に歩いていくと、法華堂(三月堂)や二月堂が見えてきます。

いずれの建物も国宝に指定されていますね。

写真は、二月堂を撮ったもの。

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二月堂は高台に建っていて、階上からは奈良市内まで見渡せます。

次の写真は、二月堂へと続く長い石段です。

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二月堂は、旧暦2月(現在は3月)に行われる「修二会(お水取り)」の舞台ですね。

その昔、大阪で勤務していた頃、お水取りの「お松明」と「達陀の行法(だったんのぎょうほう)」を見学したことがあります。

「お松明」は、お水取りのシンボルとも言える行事で、二月堂の舞台で火のついた松明を振り回すもの。

これは、勇壮でとても見応えがありました。

二月堂の建物の下には、カメラを構えた人たちがワンサカと詰め掛けていました。

私がカメラを構えていると「兄ちゃん、フラッシュ焚いたらあかんで!」と、傍にいた写真マニアのオジサンから注意されたことが、懐かしく思い出されました。

「達陀の行法」は、練行衆が燃え盛る松明を持って、須弥壇(二月堂の建物内)の周りを飛び跳ねながら松明を床にたたきつけるもの。

火花が飛び散る様は迫力満点で、よく火事にならないものだと感心しました。

この行法は、とても面白く、興味深かったですね。

仏教の行法のはずなのに、神道や呪術的な要素も多分に含んでいるように見えました。

その見学時に撮ったはずの写真が、どこを探しても見当たりません。

全く残念です。

この記事を書いていて、また「お松明」などを見学したくなりました。

若草山の山焼きも、久しく見ていません。

奈良には、また出かけたいものです。


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東大寺大仏殿&戒壇堂(奈良市)

奈良と言えば、誰もが東大寺の大仏を思い起こしますね。

修学旅行などで一度は訪れたことのある人も多いと思います。

この点で東大寺は、わが国で最も有名な寺院かもしれません。

創建は8世紀後半と伝えられ、聖武天皇が国力を尽くして開基したもの。

南都七大寺のひとつで、華厳宗大本山

本尊は廬舎那仏(大仏)です。

写真は金堂(大仏殿)を撮ったもの。

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大仏殿の周辺は、団体の旅行客がとても多く、落ち着いて写真が撮れません。

ようやく探したのが、この位置からの撮影でした。

池の水面に映える大仏殿は堂々としていて、さすがに素晴らしかったです。

もう一枚は、芝生で休む鹿と大仏殿を撮ったもの。

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奈良公園と言えば、やはり鹿を抜きには語れませんね。

東大寺の境内では、戒壇堂周辺が人も少なくて静かな場所です。

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大仏殿からは、さほど離れていませんが、団体客が来ないルートなので、ゆっくりと見学できます。

この堂内にある四天王立像(国宝)が好きで、ここには数えきれないくらい通いました。

個人的には、わが国に数ある仏像のなかで一押しの作品ですね(撮影禁止で、写真を載せられないのが残念です)。

今回は久しぶりに見学できて、本当に良かったです。

ちなみに四天王立像は、持国天増長天広目天多聞天の4つの像をさしています。

その昔に訪れた際、受付の人から、四天王の名前はそれぞれの頭文字をとって「じ・ぞう・こう・た(地蔵買うた)」と覚えれば忘れませんよ、と教えてもらいました。

それから、かなりの年月が経ちますが、いまだにちゃんと覚えているのが何やら嬉しいです。

次の写真は、戒壇院の庭を撮ったもの。

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冬枯れの静かな庭で、とても良い雰囲気がありました。

東大寺では、何と言っても戒壇堂周辺が一番好きですね。

皆さんにも、四天王立像の見学と合わせて、ぜひ訪れられることをお勧めします。


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猿沢池と興福寺(奈良市)

奈良には古都らしい優れた風景が沢山あります。

なかでも、個人的に気に入っているのが、猿沢池から望む興福寺五重塔の景観です。

写真で見ると、こんな感じですね。

再建された中金堂の屋根も少しだけ見えます。

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冬枯れで光と緑が少ないせいか、やや寂しい風景に見えますが、高台に建つ五重塔が池の水面に映る様子は眺めていて飽きません。

この猿沢池は、興福寺の行事である放生会(捕らえた生き物を解き放つ儀式)のために、749年(天平21年)に造られた人工池だとか。

水が流出入する川がないにもかかわらず、常に一定の水位が保たれているという、少し不思議な池でもあります。

興福寺は、南都六宗のひとつである法相宗大本山です。

創建は669年と古く、摂関家である藤原氏の氏寺として栄えてきました(ちなみに、氏神春日大社です)。

戦乱(戦国期)や落雷等による火災、さらには神仏分離令(1868年)による廃仏毀釈等で、寺院としての勢力は大きく削がれましたが、今も国宝の五重塔、三重塔、東金堂をはじめとする貴重な文化財が沢山残っています。

写真は、三重塔(国宝)を撮ったものです。

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興福寺では五重塔が注目されますが、個人的には、この小ぶりの塔が好みです。

塔の高さは19mあって、本瓦葺きの三間三重塔婆。 鎌倉時代前期の再建といわれています。

その立ち姿は美しく、品が感じられますね。

次の写真は、東金堂(国宝)を撮ったもの。

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五重塔のすぐ近くにあって、本瓦葺き寄棟造の堂々とした建物です。

この建物は、1426年(室町中期)の再建とか。

堂内にある諸仏像も素晴らしいものです。

なお、2018年に再建された中金堂については、このブログでも既に取り上げたので、写真だけ載せておきます。

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興福寺奈良公園と一体化していて、どこからでも境内に入ることが出来ます。

その昔、大阪に勤務していた頃は、夕方、暗くなりかけてから奈良公園興福寺の境内を歩いた記憶があります。

森閑として、人影も少なく、その独特の雰囲気がとても良かったですね。

奈良にはホテルが少なく、たいていの観光客は日帰りで、大阪や京都に泊まってしまいます。

でも最近になって、奈良にも幾つか良いホテルが出来ました。

次は、奈良に宿泊し、夕方と早朝にこの辺りを散歩してみたいと思います。


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春日大社【二十二社詣で】(奈良市)

春日大社を訪れました。

ここは「二十二社」(上七社)のひとつです。

二十二社」とは、神社の社格のひとつで、天変地異などの重大事がおこったときに国家(朝廷)が奉幣使を立てた社格の高い神社を指します。

この社格は、1039年(平安時代後期)に御朱雀天皇により制定されたもの。

今でいえば、強力なパワースポットの集まりですね。

近鉄奈良駅から奈良公園のなかを歩くこと、およそ20分。 御蓋山三笠山とも)の麓に鎮座する春日大社が見えてきました。

写真は、丹塗りも美しい中門です。

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春日大社の創建は768年。 全国に一千社と言われる春日神社の総本社でもあります。

一昨年(2018年)には、創建1,250年を迎えたとか。 とてつもなく長い歴史をもっています。

春日大社は、摂関家である藤原氏氏神ですね(なお、氏寺は興福寺です)。

摂関家は、摂政・関白の地位を独占した最高位の貴族・公家の家系をさします。

そして摂関家は、娘を天皇の后として外戚となることで、その地位を確保してきました。

この点で、朝廷が重視する「二十二社」、それも「上七社」のなかに、奈良所在の神社として春日大社が唯一含まれている訳が理解できます。

お参りしたあとは、いつのように御朱印を頂いてきました。

次の写真は、寄進された沢山の石燈籠を撮ったもの。

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春日大社といえば、寄進された燈籠の多さでも知られています。

釣り燈籠が多いですが、石燈籠もかなりの数がありました。

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参道には鹿の姿も見られました。

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春日大社のご祭神の一柱が、常陸国鹿島神宮から白鹿に乗って来られたという言い伝えから、奈良では鹿が ”神使” として大切にされています。

なお、春日大社は奈良の地の守り神とされたために、遷都の際もそのまま奈良に残されました。

その代わり、長岡京には大原野神社平安京には吉田神社という、春日大社の分社筋の神社が設けられました。

そして大原野神社京都市西京区)は「二十二社」の「中七社」に、また吉田神社京都市左京区)は「二十二社」の「下八社」に含まれています。

結局、「二十二社」には摂関家藤原氏に繋がる神社が3社も含まれています。

いかに朝廷が、同家を重んじていた(気を遣っていた)かが分かりますね。

ともあれ、春日大社の自然豊かで広大(およそ30万坪)な神域を歩いていると、心身ともにリフレッシュされるようでした。

ここには季節を変えて、また訪れたいと思います。


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ならまち藤岡家住宅(奈良市)

「ならまち格子の家」を見学して外にでると、ほぼ真向かいに立派な町家がありました。

案内板が出ていたので読んでみると、そこは「藤岡家住宅」でした。

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この町家は、昭和43年(1968年)に国の重要文化財に指定された貴重な建物。

見るからに重厚な造りで、江戸時代中期の18世紀後半に建てられたものだそう。

築200年をはるかに超えていて、奈良市で最も古い町家のひとつだとか。

切妻造り・桟瓦葺きで、一部二階建ての構造。 

突き上げ戸やばったり床几(揚げ見世)、蔀(しとみ)などを見ると、かつて商家だったことが分かります。

案内板によれば、江戸期には薬種業を営んでいたほか、その後、鉄漿(おはぐろ)、鬢付油、ロウソクなどの製造販売を経て、昭和に入ってからは30年代まで紙類の商売を行っていたそう。

現在は、普通の住居として使用されていて、残念ながら内部の見学は出来ません。

表通りから外観のみの見学でしたが、昔の商売のやり方などが想像できて、とても興味深かったです。

しばし「藤岡家住宅」を眺めてから、周辺を歩いてみました。

次の写真は「ならまち」の街かどを撮ったもの。

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迷路のような道(路地)を歩いていると、まるで昔にタイムスリップしたかのよう。

「ならまち」人気の秘密を、少しは理解できたと思える散歩となりました。


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ならまち格子の家(奈良市)

 「ならまち(奈良町)」にある「格子の家」を訪れました。

その昔、転勤で大阪にいた頃、奈良にはよく出かけていました。

当時の「ならまち」は、今ほどは知られていなかったですね。

沢山の観光客が訪れるようになったのも、最近になってからではと思います。

「格子の家」は、歴史的な町並みが広がる「ならまち」エリアの南側、元興寺などから少し離れたところにありました。

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ここは、かつては普通にあった「奈良町家」をモデルに再現(新築)された施設です。

間口が狭く、奥行きは深いことに加えて、表(みせの間)に格子をはめ込んでいることが特徴ですね。

町家のなかは「みせの間」「中の間」「奥の間」「通り庭」「二階」などに分かれていて、かつての町家の暮らしや雰囲気などを実感できるようになっています。

次の写真は、二階から「通り庭」を撮ったもの。

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吹き抜けの開放的な空間で、採光や風通しが良いように造られています。

壁に立てかけられた長い竹は、お水取り(東大寺・修二会)の際に使った大松明でしょうか。

次の写真は「中の間」にある箱階段です。

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「中の間」は、住人が生活する場所ですね。 

二階へと続く箱階段は、階段のなかが箱状の収納スペースとなっています。

狭い住居で生活するための知恵ですね。

階段は急で上り下りには結構、気を遣いました。

二階の様子は、こんな感じでした。

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さらに「奥の間」からは、蔵が望めます。

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ここでは、熱心に写真を撮っている女性がいました。 写真か建築関係の学生さんでしょうかね。 好きなことが勉強できて、少し羨ましかったです。

ウナギの寝床状で狭い住居ですが、中庭も作られていて風通しもよく、住み心地は案外と良さそうでした。

次の写真は、中庭から「中の間」「みせの間」、そして格子から表通りまで見通したものです。

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かつての奈良町家の生活様式に触れることができて、とても面白い施設でした。

なお、入場料は無料です。

新築ながら、よく出来た町家なので、「ならまち」に行かれた際には、ぜひ立ち寄ってみてください。

ここは、お勧めします。


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宗教都市・天理市その2(奈良県)

天理教本部の周辺には、独特の雰囲気を感じさせる巨大な建物が立ち並んでいます。

写真は、天理大学の建物を撮ったもの。

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入母屋の屋根が連坦する大きな建物に赤い窓枠が施された意匠は、とても特徴的です。

橋脚の先に見える瓦屋根の建物は、天理教本部ですね。

この景観は、一度見たら忘れられないようなインパクトがありました。

次は、天理大学参考館を正面から撮ったもの。

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参考館は、天理大学に付属する博物館です。

本部の周辺には、同じような構造やデザインの建物が沢山建っていました。

どれも規模が大きく、他所にはないような独特の雰囲気があって圧倒されるよう。 なかなかに凄いです。

天理駅前には、こんな洒落た建造物がありました。

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2017年に開業した駅前広場「CoFuFun」ですね。

名前は、その形状と古墳が多い当地に因んだものでしょうか。

遊具などもあって子供たちが元気に遊んでいました。 

訪れたのが昨年の師走で、イベントスペースでは天理大学ラグビー部の壮行会(全国大会)が行われていました。

ラグビーファンの私にとっては、選手を間近に見れるまたとないチャンスだったのですが、時間の関係で断念。 これは残念でした。

駅前から天理教本部までつながっているのが天理本通です。

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昔ながらの商店街で、ごく普通の店もあれば天理教関係の店もありました。

商店街の中ほどで撮ったのが次の写真です。

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どうやら天理教本部御用達の造り酒屋さんのようです。

神道の場合、神前に日本酒は付き物ですが、天理教も同じなのでしょうか。

などなど考えながら宗教都市・天理のまちなかを、あちこち見て回りました。

この街は、地域おこしや観光振興、地域ブランドなどを考えるうえで、かなり参考になると思いますね。

今回はとても興味深く、かつ面白い街歩きとなりました。


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