観光研究者の街歩きフォト日記

まちを歩き、観察する観光・地域ブランド研究者の写真ブログです。

赤穂城跡あたり(赤穂その1)

久しぶりに赤穂市兵庫県)を訪ねてきました。

赤穂と言えば、1701年に江戸城・松の大廊下で起きた刃傷事件と、その後の赤穂浪士の討ち入り(吉良邸)で、全国津々浦々にその地名が知られています。

と、今まで固く信じていたのですが・・・。

東京で、若い人たちと話していた時に、赤穂浪士の討ち入り(忠臣蔵)は名前だけで詳しい内容は知らないし、そもそも赤穂がどこにあるか全く分からない、と言われたときは、本当にがっくりときました。

まあ、今の時代、歴史や旅などに興味がなければ、そんなものなのでしょう。

気を取り直して紹介すると、赤穂市兵庫県の南西部、岡山県との県境に位置する人口4万5千人ほどの城下町です。 

瀬戸内海に面することから、古くから製塩業が盛んで、赤穂の塩は全国区のブランドとして知られています。

今回、まず訪れたのが「赤穂城跡」です。

写真は、本丸の表門。 1996年に復元されたものです。

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赤穂城は、常陸国笠間から転封された浅野長直が、1648年から13年の歳月を費やして築いた海岸平城で、「日本100名城」のひとつに選定されています。

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軍学者である山鹿素行が、暫く召し抱えられて、城の縄張りを一部変更したとも言われています。

天守閣は計画されたものの、着工はされず天守台のみが残っていました。

明治維新の際に、城内の建物の大半は取り壊されました。 このため、現在建っている建築物のほとんどは、昭和以降に復元されたものです。

次の写真は、本丸厩口門(台所門)です。

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本丸にあった3つの門の一つで、2001年に復元されました。

この城跡の印象としては、石高(5万石強)に比べて、かなり規模が大きいと思いますね。

そして、石垣とお堀が立派でした。

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お堀は、外堀と内堀が残っています。

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そして、城跡から少し離れたところにあるのが「大石邸長屋門」です。

ここは、浅野長直の赤穂入封以来、家老職を務めた大石家3代の邸宅跡。

1729年の火災で建物の大半が焼失し、長屋門のみ現存しています。

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とても立派な長屋門ですね。 今にも武士が姿を現しそうな雰囲気があります。

1701年の江戸城での刃傷事件を国元へと伝えるため早駕籠で到着し、門を叩いたのが、この長屋門だとか。 

さらに、「大石邸」の敷地内にあるのが「大石神社」です。

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ここには、討ち入りを果たした47士などがお祀りしてあります。 1900年創建と比較的新しい神社ですが、なかなか立派な雰囲気のあるお社でした。 

下の写真は、宝物館です。

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この神社では、御朱印帳を買って御朱印を頂いてきました。

この「赤穂城跡」は、想像していた以上に規模が大きく、見どころも結構ありました。とりわけ歴史や城郭に興味がある方には、面白く回れるところだと思いますね。

久々に訪ねることができて良かったです。


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