京都を訪れると、よく歩くのが八坂神社から高台寺あたりです。
四条河原町の繁華街からも近く、時間さえ選べば静かな散歩道となっています。
八坂神社から八坂の塔(法観寺)方面に歩いていくと、左手(東側)に石塀小路があります。
ここは大正時代に、貸家街として計画的に造られた街区とか。
石垣の塀や石畳の小道に沿って、料理屋や旅館などが立ち並んでいます。
次の写真は、石塀小路へとつながる小さな入り口を撮ったもの。
トンネル状になっていて、まるで異界へとつながっているかのよう。
ここを抜けると、石畳の静かな街並みが現れます。
道に敷いてある石畳は、市電が廃止された後の石材を持ってきたものだそう。
それにしても、今ではなかなかに良い雰囲気の小路となっています。
石塀小路を歩いていると、民家に粽(ちまき)が飾ってありました。
粽は笹の葉で包んだ餅菓子ですね。
でも、この軒先の粽は食べられません。
それを一年間、玄関先に飾っておくというもの。
この粽には「蘇民将来之子孫也」と書いてあります。
「スサノオノミコト」(八坂神社の祭神)が南海へと赴く途中、日が暮れて宿を探していたときに、貧しい「蘇民将来」が稗(ひえ)の食事と藁(わら)の布団でもてなしたそう。
それを喜んだ「スサノオノミコト」が、蘇民の子孫を疫病から守ると約束した、そしてその目印に茅の輪を腰に付けさせた、という神話から厄除けのお守り(粽)に上のような文言が書かれています。
京都の街は、昔ながらの風習を守りながら、それが生活のリズムとなっているようです。
なお、次の写真は、玄関の上の屋根に置かれた鍾馗さんです。
これも、以前に紹介したように厄除け(道教)のお守りですね。
京都では、名所旧跡もさることながら、街なかで見かける日常風景や人の生業などに興味がひかれます。
石塀小路には、京都のまち歩きの面白さが凝縮されているようです。