観光研究者の街歩きフォト日記

まちを歩き、観察する観光・地域ブランド研究者の写真ブログです。

三内丸山遺跡(青森その1)

青森市へと出かけました。

東京からは飛行機か新幹線かで迷いましたが、久しぶりに東北新幹線を利用してみました。

いつも思うのですが、JRの在来線駅(〇〇駅)と新幹線駅(新〇〇駅)とが離れている街は、慣れない旅行者にとってやや不便さを感じますね。

今回、降り立った新青森駅も在来線の青森駅から離れているので、乗り換えが少し面倒に感じました。 

新幹線の経済的メリット(活性化効果)を十分に享受するためには、在来駅と新駅との連携に知恵を絞った何らかの施策が必要になると思います。

そんなことを考えながら、新青森駅から最初に向かったのが「三内丸山遺跡」です。

三内丸山遺跡」は、日本最大級の縄文集落跡ですね。

今から約5,900年前~4,200年前の縄文集落跡で、長期間に亘って大規模な定住生活が営まれていたと推測されています。

写真は、六本柱建物跡を撮ったもの。

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地面に穴を掘り、柱を立てて造った建物跡(復元)で、当遺跡のなかで最も重要な遺構とされています。

用途は、祭祀用だったと推測されていますね。

柱穴は直径2m、深さ2m、間隔が4.2mあって、中に直径1mの栗の木柱が埋められていました。

長さや深さ等がほぼ同じであったことから、当時、既に測量技術を持っていたと考えられるそう。

埋められていた栗の木には焼いた跡があり、これで腐食を防ぐという知識も有していたといわれています。

次は、大型竪穴式住居跡の写真です。

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当遺跡には、このような大型の竪穴式住居跡が10棟以上も出土していて、集団で生活していたと考えられています。

最大の住居跡は、長さ32m、幅10mとかなりの大きさです(写真の通り)。

内部は、次のようになっていました。

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この他、小家族で暮らしていたとみられる竪穴式住居跡が約780棟あったとされ、幾つかが復元されていました。

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この他、高床式倉庫や環状配石墓など多数の遺跡があって、じっくりと見学すると時間が足りないほどでした。

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遺跡の総居住者数は数百人規模と考えられ、集落の周辺には多数の堅果類(クリ、クルミ、トチなど)を植えていたそう。

それほどの集落が、なぜ消滅してしまったかは、いまも分からないといいます。

一説には、気候の急変(寒冷化)と推測されていますが、今のところは謎のままとか。

なかなかに想像力を掻き立てられる遺跡見学でした。

ここの見学は、皆さんにおススメしたいと思います。


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