飫肥(おび)の城下町(伊東氏5万1千石)には、昔ながらの武家屋敷が残されています。
まず取り上げるのは、飫肥城跡の大手門前にある豫章館(よしょうかん)です。
次の写真は、千鳥破風の屋根を構えた玄関を撮ったもの。
見るからに堂々とした構えですね。
豫章館は、明治2年に建てられた藩主(正確には藩知事)・伊東家のお屋敷です。
この建物は薬医門と屋根付き塀に囲まれていて、飫肥城下で最も格式のある武家屋敷といわれています。
南面には、武学流(ぶがくりゅう)の作庭とされる庭園(枯山水)が広がっていました。 ちなみに武学流とは、作庭の流派のひとつで大石武学が開祖です。
訪れた印象としては、広々とした敷地に、大きな構えの武家屋敷に感嘆しました。
建物には特産の飫肥杉がふんだんに使われていて、質実剛健というか、凛とした雰囲気が漂っています。
藩主が居住した屋敷なので、特別の造作(仕様)なのでしょうが、当時の上級武士の生活などが想像されて、とても興味深かったです。
続いての写真は、旧伊東伝左衛門邸を撮ったもの。
建築されたのは19世紀初めだといわれています。
二つの通り(横馬場、八幡馬場)に面する立地で、周りを石垣が巡っています。
建物は簡素ながら、見るからにしっかりとした造作。
この立地と造りから、飫肥藩の上級家臣の邸宅であったことが分かります。
また写真でも分かるように、床が高い造りとなっています。
これは、夏の暑さを凌ぐための工夫だそう。
庭は枯山水で、ソテツなど南国らしい植え込みでした。
城下町をみる場合、それを構成する4つの要素がどれほど完全に残されているかが大きな評価ポイントとなります。
その要素とは、「城(跡)」「武家屋敷」「町家」「寺町」の4つです。
全国的に見ても、この4つの要素を完全な形で残している城下町はとても少ないと言われています。
前回のブログでも書いたように、この飫肥城下は早くから国の重伝建地区に選定されています(種別は、武家町)。
歴史的な町並みや地域文化などに興味を持つ方であれば(また、そうでなくとも)、飫肥の城下町は一度は訪れる価値があると思います。
城下町が持つ癒し効果もあるので、皆さんにお勧めしたい場所のひとつです。