観光研究者の街歩きフォト日記

まちを歩き、観察する観光・地域ブランド研究者の写真ブログです。

梼原の茶堂(高知・梼原その3)

 梼原町(ゆすはらちょう)で見学したかったものに「茶堂」(ちゃどう)があります。

作家・司馬遼太郎の『街道をゆく27』(檮原街道~脱藩のみち~)を読むと、司馬が「これを見たかったんです」と言うくだりがあります。 「これ」とは「茶堂」を指しています。

実物を見ないと、まったくイメージがわかないので、私も梼原町に出かけたら司馬に倣って、この目で「茶堂」を確認したいと思っていました。

写真は、同町 ”茶や谷地区” にある「茶堂」を撮ったものです。

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町の中心部から ”茶や谷地区” を目指してクルマを走らせましたが、「茶堂」をなかなか探し出せず、漸く辿り着くことが出来ました。

ネットで調べてみると、以下のような説明がありました。

 《「茶堂」は、戦国時代の領主・津野氏滅亡後に、その供養のため領内各地に建立されたもので、堂内には弘法大師、津野公を祀る。 後になって、その場所で旅人に茶のもてなし(接待)をしたところから、この名が残っている。》

一方、この建物の造りは、木造平屋建て(およそ二間(3.6m)X 一間半(2.72m))、茅葺屋根で、堂内は板敷きの素朴な形式が一般的となっているそう。

実際に見たところでは、吹き抜けで内部がすべて見える、いかにも開放的な構造でした。

その数は、明治42(1909)年に53棟、その後は減少して昭和38(1963)年に18棟となり、現在、町内には13棟が保存されているとのこと。

四国なので大師信仰と関係があるようですが、梼原は四国八十八か所の巡礼ルートからは外れています。 このため、接待はお遍路さんではなく、通常の旅人に対してのものだったのでしょうか。

また地区民の集いや寄り合いの場所、子供たちの遊び場などでも使われていたようです。

次の写真は、風早茶屋の外観と内部を撮ったものです。

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建っているのは、「雲の上のホテル」のすぐ近くにある「太郎川公園」のなか。

公園内なので、たぶん移築されたものでしょうか。

風早茶屋では、定期的にお茶と菓子の接待が行われているそう。 ここは、国道197号線に面していて、四国カルストに向けて走るライダーが多いですからね。

このように、梼原では2ヶ所の「茶堂」を見学してきました。

今でも、地区民の集まりなどに使われている「茶堂」もあるとか。

貴重な歴史遺産なので、将来に向かって受け継いでいって欲しい建築物だと思いました。


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