龍野の城下町(兵庫県たつの市)で開催された ”オータムフェスティバル” に出かけたら、ちょうど紅葉が見ごろを迎えていました。
龍野城跡(霞城跡)から少し山側へと上った先にあるのが、紅葉で知られた「聚遠亭」です。
「聚遠亭」の名は、前庭からの眺望が素晴らしいことから名付けられたものとか。
もともとは龍野藩主・脇坂公の屋敷跡ですね。
写真は、その茶室を撮ったもの。
心字池に建てられた浮堂となっています。
安政年間(1854~1859年)に藩主の脇坂安宅公が京都所司代の職にあった際、その功績により孝明天皇から茶室を賜り、当地に移築したものとか。
久しぶりに訪ねると、ちょうど紅葉の盛りで、とても綺麗な景観が広がっていました。
次の写真は、「聚遠亭」にほど近い「紅葉谷」へと続く石段で撮ったもの。
こちらも、色づきが素晴らしい紅葉でした。
この辺りは、秋の紅葉に加えて春の桜花も見応えがあります。
龍野の城下町は、川(揖保川)と山(鶏籠山など)に囲まれた、ほんのわずかな平地に町並みが形成されています。
そして、400年前からの町割りがほぼそのまま残されています。
そういう意味では、奇跡的に残った昔ながらの城下町といえます(ややオーバーですかね)。
高度成長期の市街地開発とは無縁で、しばらく前までは眠ったような町とも評されていました。
それが、歴史的(伝統的)町並みの価値が見直されることで、むしろ脚光を浴びるような時代となってきました。
まあ、日本社会がそれだけ成熟したということでしょうか。
いま、日本の観光地には沢山の外国人観光客が訪れています。
一方、主要観光地(京都、鎌倉など)では観光客の集中がオーバーツーリズムという弊害を生み、地元住民の生活に支障をきたすような事態も報告されています。
これからは、増加し続ける外国人観光客(もちろん日本人観光客も)を、日本の各地域で分担して受け入れることが必要となってくるでしょう。
こうしたことから、まだその存在をさほど知られていない龍野のような町を、沢山の外国人観光客(日本人観光客も)が訪れるようになる日も近いのではと思います。
少子高齢化、自治体の財政難等で、地方経済はますます大変になってくることが想定されますが、関係人口(旅行者等)を増加させることで一定の歯止めは十分に可能です。
それらに備えるためにも、たゆまずに ”町磨き” (私が勝手に作った造語です)をして、地域のブランド力を蓄えておくことが重要でしょう。
今回は、久しぶりに龍野の城下町を訪れて、いろいろと考えるところが多かったです。
次は、もう少し時間をとって、ゆっくり、のんびりと町歩きを楽しもうと思っています。
(龍野のレポートはひとまず今回でお仕舞いです)