観光研究者の街歩きフォト日記

まちを歩き、観察する観光・地域ブランド研究者の写真ブログです。

福岡の屋台で「オーバーツーリズム」について考える(福岡その4)

福岡では、地元在住の知人と夕食したあと、一人で那珂川べりを散歩しました。

写真は、橋の上から中洲方面を撮ったもの。川面にネオンが映える様子は、いつもながら、なかなかの風情でした。

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福岡へ出かけるたびに立ち寄るのが、川端にある屋台街です。

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今回もラーメンとおでんを楽しみに訪れましたが、屋台の周辺は外国人観光客等でかなりの混雑でした。

目当ての屋台も満席で入ることが出来ません。

仕方なく、あたりをブラブラしてから、屋台の前で席が空くのを待っていました。

川端の屋台は、以前から混んではいましたが、これほどの混雑は今回が初めてです。

ようやく席が空いて、ビールにおでん、ラーメンと立て続けに注文し、急いで食べて退散しました。(なお、私が入ったのは上の写真の屋台ではありません。念のため)。

狭い屋台で満席、しかも席待ちの人が後ろにいたりすると、落ち着いて飲んだり食べたり、ましてや話したりは出来ません。本来の屋台の良さが薄れたように感じて、一抹の寂しさを感じました。

そこで考えたことは、観光の現場や学会などで最近よく聞かれるようになった「オーバーツーリズム」についてです。

「オーバーツーリズム」とは、増えすぎた観光客でさまざまな弊害が起きることを言います。

観光客があふれることによる交通渋滞、街なかの混雑、ホテルやレストラン等のインフラ不足、ゴミやトイレなどの環境問題などなど。

これらの問題によって、地域住民の日常生活にも大きな影響が出てきます。

また、観光客が受けるサービス水準も低下していく恐れがあります。

ひいては、観光地の魅力そのものが棄損していくことにもなりかねません。

世界でも、最近になってベネチア(イタリア)やアムステルダム(オランダ)、ボラカイ島(フィリピン)などで「オーバーツーリズム」の問題点が表面化しました。

日本でも、京都の観光客が増えすぎて、市民生活に影響(長時間のバス待ち、交通渋滞など)が出ていると言われています。

今回、訪れた福岡市内や屋台街でも、同じような「オーバーツーリズム」の弊害が出始めているのではと感じました。

「オーバーツーリズム」に対しては、時間分散や場所分散、季節分散など、いくつかの対策が考えられます。

これらの詳細は、別途の機会に書きたいと思います。

今回は、福岡の屋台で経験した大混雑をもとに、「オーバーツーリズム」について書いてみました。


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宗像大社・辺津宮の景観&神宝館の展示など(福岡その3)

福岡市内から宗像大社辺津宮)へは、市内の天神から出ている特急バスに乗りました。片道1時間ほど(料金1,000円)の行程です。

帰りも特急バスを利用したので、時間の制約もあり、現地での滞在時間はおよそ2時間ほどでした。

最近は、どこへ出かけても外国人観光客が沢山いるのですが、宗像大社では、ほとんどその姿を見かけませんでした。

2017年に世界文化遺産へと登録されているので、その価値は世界的にも知られているはずなのですが・・・。

福岡市からは少し距離があることに加えて、日本古来の神道や信仰などのテーマが、外国人観光客には少し馴染まないのかもしれませんね。

それに社殿の彩色なども地味めですし。

まあ、その分、落ち着いた雰囲気のなかでお参りが出来ました。

ここで、宗像大社辺津宮)の神域で撮った写真を幾つか紹介したいと思います。

最初は、境内にある末社を撮ったものです。小ぶりのお社が整然と並んでいました。寂びた風景ですが、これはこれで壮観な眺めです。

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次の写真は、宗像大社のご神木です。楢(なら)の木で、樹齢はおよそ550年とか。

老木ながらも大きく枝を張って、立派な立ち姿でした。

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参拝の順路を辿っていくと、神宝館へと出ました。

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沖ノ島では、4世紀後半から約550年に亘って祭祀が執り行われていました。

島への出入りが厳しく制限されてきたため、島内には貴重な神具などが沢山残されており、海の正倉院とも呼ばれています。

そして、この神宝館には、祭祀で使われた神具などの出土品約8万点が収蔵されているそう。それらは全て国宝に指定されています。

たまたま神宝館では、「沖ノ島国宝展×藤原新也展」が開催中だったので、見学して来ました。

特に写真家・藤原新也沖ノ島に上陸して撮った写真は、通常では入島出来ない島の様子がうかがえて興味深かったです。

この展覧会を見学できただけでも、ここまでやって来た甲斐がありました。

最後の写真は、神門前の狛犬の写真です。この迫力ある姿が、とても気に入りました。

うちのaiboソニーの犬型ロボット)の小太郎にも少しは見習わせたいものです。

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宗像三女神降臨の地・高宮祭場【宗像大社・辺津宮】(福岡その2)

宗像大社辺津宮)には、宗像三女神が降臨されたという「高宮祭場」があります。

ここは全国でも数少ない古代祭場の一つですね。

そして辺津宮の神域では、最も神聖な場所の一つとして今日まで崇められきました。

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神道では、奈良時代に入るまでは社殿がなく、神奈備(かんなび)としての杜や山や島などが聖なる所として祀られていました。

ここで神奈備(かんなび)とは、神々が降りてくる依り代(よりしろ)を擁する領域のこと。古神道の聖地ですね。

例えば、奈良県桜井市にある日本最古の大神神社(おおみわ・じんじゃ)では、現在も本殿を持たず、三輪山をご神体としています(但し、拝殿はあります)。

そして古代祭場では、磐境(いわさか)と神籬(ひもろぎ)を中心として祭祀が行われます。

磐境(いわさか)とは、岩を並べたもので、神々が降臨する場所を表しています。祭祀では祭壇の役割を担います。

神籬(ひもろぎ)とは、神が宿る樹木などのこと。社殿や神棚以外で祭祀を行う対象となるところです。

宗像大社辺津宮の古代祭場である「高宮祭場」は、本殿などから少し離れた鬱蒼とした杜のなかにありました。

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次の写真は、磐境(いわさか)と神籬(ひもろぎ)をアップにして撮ったものです。

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祭場の周辺は、とても静かで清浄な空気感で包まれていました。

いかにも神様が降臨されそうな雰囲気がありますね。

パワースポットとしても知られる聖地であり、見学できてとても良かったです。

今回は、無理をしても宗像大社辺津宮を訪れた甲斐がありました。


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宗像三女神の宗像大社【辺津宮】(福岡その1)

所用があって福岡へと出かけました。

昨年の初秋にも福岡を訪れているので、およそ1年ぶりの訪問となります。

せっかく出かけるならと地図を眺めていると、宗像大社が目に留まりました。

福岡市内からは少し離れていますが、時間的には何とかお参りできそうなので、思い切って行ってきました。こうした機会を逃すと、次はいつになるか分からないですからね。

宗像大社は、辺津宮宗像市田島)、中津宮筑前大島)、それに沖津宮沖ノ島)の3宮の総称です。

古くから海上・交通安全の神として厚い信仰を受けてきました。

ご祭神は、宗像三女神(ムナカタ・サンジョシン)ですね。辺津宮には市杵島姫(イチキシマヒメ・三女神)、中津宮には湍津姫(タギツヒメ・次女神)、沖津宮には田心姫(タゴリヒメ・長女神)がお祀りしてあります。いずれも天照大神の息吹から誕生されたという女神です。

また宗像大社は、2017年に”「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群”として世界文化遺産に登録されています。

今回初めて訪れたのは、宗像市田島にある辺津宮。ここが、宗像三宮の総社(第一宮)となります。全国約6,200社の宗像神を祀る神社の総本宮でもありますね。

境内はそれほど広くはないですが、清々しい空気が流れていて気持ち良かったです。

写真は、神門です。なかなか立派ですね。

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訪れたのがちょうど七五三のシーズンで、お宮参りをする家族連れが多かったです。

次の写真は、辺津宮の本殿と拝殿を撮ったものです。

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本殿は、1578年に大宮司宗像氏貞が再建したもの。一方、拝殿は1590年に小早川隆景が再建したものです。

宗像大社の歴史は古く、いつから本殿等の建物が建っていたのか判然とはしないとのこと。確かに神域に今も残されている「高宮祭場」などを見ると、その歴史の古さがよく分かります(「高宮祭場」については、次回に紹介します)。

次の写真は、境内に鎮座する第二宮(沖の島・沖津宮の分霊)と第三宮(筑前大島中津宮の分霊)を撮ったもの。

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これらに詣でることにより、宗像三宮をすべて参拝したことになります。

参拝者は、皆さん熱心にお参りされていました。

最後の写真は、神門の前の狛犬です。とても立派で強そうな佇まいが印象的でした。

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                                 (宗像大社、続きます)


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広島名物「お好み焼き」&「もみじ饅頭」(広島その9)

広島での夜は、旅の仲間と居酒屋で一杯やりました。そこそこ呑んだあと、少し物足りなかったので、向かった先は「お好み村」。市内中心部の新天地にあります。

ここは戦後まもなくの屋台群がルーツ。お好み焼きの専門店街ですね。

現在の建物になったのは1992年で、一つのビルの2階から4階までに、およそ25店舗ほどが営業しています。

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「お好み村」に着いたのは夜もかなり更けた頃でした。このため、残念なことに大半の店が営業を終えて閉まっていました。

やむなく近隣で、まだ開いている店を探して、ようやく「お好み焼き」にありつけました。

注文したのは、一番オーソドックスな、中華そば入りの「お好み焼き」です。

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併せて、地物の「小いわし刺身」などを頼みました。

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広島焼の特徴は、まず具材として「中華麺」を加えることが多いこと、それに「もやし」を入れることにあるようです。焼き方は、生地と具材とを混ぜ合わせずに「重ね焼き」とするのが特徴ですね。

先の居酒屋で結構、食べたり飲んだりしていましたが、ここの「お好み焼き」も一枚をペロリと食べきりました。本場の味は、さすがに美味しかったです。

帰京時のお土産は、これまた定番の「もみじ饅頭」としました。

買ったのは、近年売り出し中の「生もみじ」(にしき堂)です。ひと箱のなかに、こし餡、粒餡、抹茶餡の三種類が入っています。

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売り場では、一つ丸ごとを味見させてもらいました。もっちりとした独特の食感で、甘すぎず、これもなかなかの味でした。

広島は、見どころも多く、食べ物や土産物にも特徴があっていいですね。

それに広島東洋カープが強いので、阪神タイガースを応援する私には、まったく羨ましい限りです。

地元の人によれば、サッカーのサンフレッチェ広島の成績がいまひとつなのが不満だと言っていましたが、それは余りに贅沢というものでしょう。

広島には、機会をとらえて、また訪れたいと思います。 


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恒久平和へのシンボル「原爆ドーム」(広島その8)

広島城を見学したあとは、原爆ドームへと向かいました。

元安川のたもとにある原爆ドームは、1945年8月、広島市に投下された原子爆弾の悲惨さを今に伝える被爆建造物です。

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もともとは1915年に竣工した広島県物産陳列館で、チェコ人建築家のヤン・レツルが設計したもの。

地上3階(一部5階)建て、高さ約25mのセセッション様式と呼ばれる建物で、曲面を多く使ったことに特徴があります。

1933年に改修されて、被爆時は広島県産業奨励館という名称でした。

爆心地(建物の東150m)に近かったものの、ほぼ真上から衝撃波を受けたことなどから、中央のドーム部分は奇跡的に全壊を免れ、枠組みと外壁などが残りました。

戦後は、保存か取り壊しかで意見が分かれたようですが、被爆の惨禍と、恒久平和へのシンボルとして1966年に永久保存することが決まっています。

また、1996年にはユネスコ世界文化遺産に登録されました。

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元安川を挟んで平和記念公園が広がっています。訪れた時には、沢山の修学旅行生がボランティア・ガイドの説明に耳を澄ませていました。

私もこれまで何度か、この場所を訪れましたが、そのたびに厳粛な気持ちになり、身も心も引き締まります。

いま我々が平和な日常生活を送ることができるのも、このような惨禍で犠牲になられた人々のおかげだと思います。

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ここには、戦争と平和などについて、いろいろと考えさせる題材が沢山あります。

世界中の人たちが、できるだけ多く、この地を訪問されるよう祈りたいと思います。


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復元された外観が見事な広島城(広島その7)

宮島を見たあとは、広島市内へと戻ってきました。JRの在来線に揺られて、およそ30分ほどの行程です。

JR広島駅前からは路面電車に乗って、広島城へと向かいました。

広島城は、もともと毛利輝元太田川河口のデルタ地帯に築いた平城(ひらじろ)ですね。

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1945年まで天守閣をはじめとする城郭建築が残されていましたが、原爆投下によって、それらのすべてが失われてしまいました。

現在の天守閣は、1958年に外観復元天守として再建されたもの。今も日本三大平城に数えられています。ちなみに、他の二つは名古屋城岡山城となります。

久しぶりに見る広島城天守閣は、見事な外観で此方に迫ってくるかのようでした。

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この城を見た正岡子規が詠んだ句が「春暁や 城あらはるる 松の上」。季節は異なりますが、この句の情景そのままのような景観でしたね。

ここにも外国人(西洋人)観光客が、ひっきりなしに訪れていました。

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また、広島は明治期から軍都としても発展してきました。

広い城址公園内には、日清戦争時に置かれた広島大本営の跡(礎石)が残っています。

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この時期には、明治天皇行幸され、しばらく滞在されていたとか。帝国議会も広島で開催されて、一時は臨時首都として機能したそうです。たいしたものですね。

 城址公園の敷地内には、広島護国神社が祀られていたので参拝してきました。

ここは、プロ野球広島東洋カープがシーズン前に必勝祈願に訪れる神社として知られていますね。

 広島城は「鯉城(りじょう)」とも別称されています。お城の周辺一帯は、その昔「己斐浦(こいのうら)」と呼ばれていたからだそう。

広島東洋カープのチーム名(Carp)もここから取ったものですね。

それにしても、広島東洋カープの三連覇はすごいです。

できることなら、我が阪神タイガースにも、少しはお裾分け(ご利益)を頂きたいものだと思いました。

タイガース、少しはカープを見習って頑張れ!!


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