今年のお盆休みは、兵庫県太子町の実家に帰省していました。
太子町から少し南へと下ったところにあるのが、姫路市網干区(あぼしく)です。
今回の帰省では、以前から見たかった「旧山本家住宅」と「旧網干銀行本店」の建物などを見てきました。
山陽電鉄網干駅の南側が、旧網干(あぼし)町の中心街で、古くから漁業や商業で繁栄してきました(昭和21年に姫路市と合併)。
そして現在は、少し寂びれた町並みに加えて、歴史的な建造物が沢山残されています。
その代表的なものが「旧山本家住宅」と「旧網干銀行本店」です。
次の写真は「旧山本家住宅」を撮ったもの。
同住宅に貼られた説明文によると、「旧山本家住宅は網干銀行頭取や町長を務めた山本真蔵氏により現在の形に整られた。 明治初期建築の主屋をはじめ、大正7年建築の洋館、離れなどが建つ。」とあります。
実際に見たところでは、建物と門塀が一体となっていて、手前に主屋、その左手に洋館が建っていました。
この家の一番の特徴は、和洋折衷様式による洋館とその望楼にありますね。
付近に高い建物がないなかで、黒漆喰壁3階建ての望楼は、その意匠と相まってとてもよく目立っています。
伝統的な白壁の中2階建ての主屋とは対照的な個性で、なかなかのインパクトを放っていました。
このような豪壮な建物を建築できる豊かさ(経済力)は、当地が揖保川(いぼがわ)の河口に立地し、瀬戸内海との物流拠点(水運の要衝)として栄えたためでしょう。
周辺の町並みは、次の写真のようでした。
このあたりは、伝統的な家屋が連担していて、落ち着いた佇まいですね。
この「旧山本家住宅」は、月2回(第1、第3日曜日)内部を公開しています。
次回は、公開日に合わせて、ぜひ内部も見学してみたいと思っています。
この後、山本真蔵氏が頭取を務めていたという「旧網干銀行本店」へと向かいました。
到着すると残念なことに、建物が工事用シートですっぽりと覆われていました。
煉瓦造り2階建ての建物は、大正10年ごろの建設といわれています。
なかでも頂部にあるネギ坊主型(?)銅板葺きの屋根が特徴的とか。
また、内部も金庫室や執務室が銀行時代のまま残っているそう。
現在は、建物の保存活動が実り、レストランとすべく改装工事中でした。
この建物も、工事が終わった頃を見計らって、もう一回訪れたいと思っています。