前回紹介した「旧水井家住宅」のすぐ近くには、「網干陣屋跡」があります。
その当時は、代官・奉行をはじめ藩校(分校)なども置いていたとか。
もともと網干地区は姫路藩に属していましたが、曲折のうえ1637年に龍野藩領へと変更されました。
さらに1658年、当時の龍野藩主・京極高和が四国・丸亀藩へと移封された際、網干地区28ヵ村(1万石)だけは引き続き京極家領とされ、以降、明治まで丸亀藩の飛び地として領有されてきたそう。
(以上は「網干陣屋跡」の案内板から適宜引用しました)
実際に訪れると、再建されたという陣屋門だけが残されていました。
旧龍野藩主だった京極氏が、四国に移封された後も網干地区を手放さなかったという史実には興味をひかれますね。
まあ、それほどに、網干地区の物流面での戦略性・重要性が当時は高かったということでしょうか。
こうして勝手な想像をするだけでも、結構面白いものです。
次の写真は、陣屋跡のすぐ近くにある「金刀比羅神社」を撮ったものです。
もともとは陣屋内の御社地に讃岐の金刀比羅宮を祀っていたそう。
これも、四国・丸亀藩の領地だったからでしょうね。
1859年に現在地へと移されて「金刀比羅神社」が創建されました。
小ぶりながらも、なかなかに立派な社殿で、現在も大切にお祀りされていることが伺えました。
網干での滞在時間は、ごく短時間でしたが、地域の歴史や地理などの特徴を踏まえて、いろいろと想像を巡らせる楽しい街歩きでした。
ただ、揖保川(いぼがわ)河口の写真を撮り忘れたのが、心残りですね。
なお、手延べ素麺の有名ブランド「揖保の糸」は、揖保川の上流にあたる龍野地区の名産品です。 地元出身なので、少し宣伝させて頂きました。